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09.10.21

ついに、ワールドカップが......(その1)

 年度末のドタバタで、更新が滞ってしまいました。ごめんなさい。原稿の締め切りを守れる人って、それだけで尊敬してしまいます。小村に締め切りを守らせるためにはどうすればよいか、スタッフの皆さん、知恵を絞ってね(と、ほとんど他人事)。

 さて、久しぶりの与太噺では、去る3月22日、宮城スタジアムで行われた、ワールドカップ(以下W杯)を想定した図上訓練ネタでご機嫌をうかがいます。
 W杯については、今さらくどくどと言う必要もないでしょう。このコラムを書いている時点で、開催まであと70日を切り、オフィシャル・スポンサーのCFも花盛り。いよいよ歓迎ムードが盛り上がってきた、と言いたいところなのですが......。集団災害医療に携わる人々の間では、実はこれは大変な、大変な悩みの種なのです。

 2月末に岡山県倉敷市で行われた、日本集団災害医学会の学術総会では、W杯についてのフリートークの場が設けられました。様々な議論がなされましたが、その中で最も印象に残ったのは、旧知のM医師の一言でした。M先生は、知る人ぞ知る災害医療のエキスパート、それも単なる臨床医ではなく、かつては陸上自衛隊の医官(昔流に言えば軍医)として衛生部隊の様々な職を勤め、NBC兵器対策にも詳しい方。たまたま某スタジアム直近の病院は、M先生が現在勤める大学の系列病院とのことで、そこの病院長から専門家としてアドバイスを求められたならば、という主旨で発言を求められたのですが......。

「現時点で私ができる最大のアドバイスは、『当日は病院を閉鎖しなさい!』です。」

 これを聞いて、「一体何てバカなことを言っているのだ?」と思う人も多いでしょう。医師たるもの、患者を放置し、現場を放棄すべきとは何事か、と。しかし私は、M先生でなければ言えない、何と勇気ある発言かと思います。私に限らず、M先生の経歴と見識を知り、共に災害医療を学ぶ者であるならば、発言の主旨は理解してもらえると思います。それほど、事は重大であり、準備は大変なのです。「素人は容易さを語り、玄人は困難さを語る」と言われますが、それにしても「病院を閉めろ」とは、いかに学会という専門家を相手にする場であっても、よほどのことがなければ言えないセリフです。でも、それは決して冗談や受け狙いの発言ではないのです。
 確かに、選手やVIPについては、また施設内で起こる一般的な種類・規模の疾病(ちょっとしたケガなど)については、それなりに準備されています。しかし、こと集団災害、それもNBC兵器や爆発物が絡むような事態までは、準備態勢が追いついていないのが実情なのです。そして、M先生は、その経歴から、これらの事態に備えることの困難さが、人一倍わかっていたのだと思います。

 日本は、東京・亀戸での異臭事件、松本・地下鉄サリン事件、東海村臨界事故、明石の花火大会における圧死事故等々、様々な特殊災害や、イベントにおける多数傷病者発生事案を経験してきました。また、フーリガンの存在は広く知られるようになってきています。そして世界は、2001年9月11日に何があったかを知っており、ソルトレークオリンピックでアメリカがどれだけの(テロ)対策をしたかを見てきています。当然世界は、先進国日本、しかもこれだけ実例があり直前に良い見本があるからには、それなりに手は考えているのだろうな、と期待していることでしょう。

 しかし、M先生の発言に見られる通り、これらを踏まえた上でそれなりの備えをすることは、半端な難しさではありません。フーリガン対策、NBCテロ対策、VIP対応、暴動への対応等々、考えればきりがありません。しかも、これらのことはあくまで裏方の仕事であり、何もなかったらなかったで、何でそんなに金と時間を使ったのだと嫌味を言われ、不幸にして何かあったらスケープゴートにされてしまう、そんな不幸な役回りです。そんな困難さがわかっていましたから、私自身としては、「できることならば、あまり関わりたくはないなぁ......」というのが正直なところでした。しかし、今年1月下旬のある日、ある方から電話とメールをいただきました。「手伝ってくれないか」、と。

 どれだけ制約が多くても、どれほど課題があろうとも、何かをしなくてはという熱い思いを持ったサムライは、いるものです。W杯についてもそうでした。そういったサムライの熱意に打たれ、宮城・仙台の地で共に仕事をすることになったのですが......。本論に入る前に紙幅が尽いてしまいました。ということで、次回、いよいよ本論です。

2002.3.25

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小村 隆史(こむらたかし) 富士常葉大学環境防災学部防災社会科学分野 准教授
1963年千葉市生まれ。国際基督教大学教養学部卒。同大学院行政学研究科修士課程修了。防衛庁(当時)防衛研究所助手・主任研究官を経て、日本初かつ唯一の防災学部である富士常葉(とこは)大学環境防災学部の開学メンバー。教育・研究に加え、地域・社会・国際貢献を含めた3本柱が防災研究者とあるべき姿と思い定め、地域防災、国際防災協力、災害医療など、防災・危機管理に広く携わる。「トラメガ持ってボラセンを仕切った経験を持ち」「トヨタ自動車の防災・危機管理アドバイザー格」「内閣府・内閣官房などの委員も務める」が、論文は書かない(正しくは「書けない」)という、明らかに「規格外」の大学教員。災害図上訓練DIG(Disaster Imagination Game、ディグ)の考案者としても知られている。

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