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09.11.04

噴火の時(2)

 HPにとにかく放り込んで、デジカメ持って屋上へ階段を駆け登る。思いもしなかったところが噴火している。

「やばい。一番やばいところが吹いた」

 噴煙はたちまちのうちに到達高度をぐんぐん増して行き、南西の風に乗って壮瞥、洞爺村のほうに流れた。
 伊達から見ると、有珠山の左裾野から噴火して、その噴煙は右、すなわち洞爺湖湖畔側に流されていた。
 噴火の前兆は何もなかった。
 地震も、音もない。
 静かに噴煙だけが立ち昇っている。
 とにかく、数枚の画像を撮影して階下に駆け下り、速やかに写真をHPに。参加しているMLにも、「噴火!!13時10分」と速報を流す。カウンターが火を吹いて上がり始めた。
 ラジオをつけっぱなしにするが、まともな情報は少ない。ほとんどガセ。次々に入る情報を処理して整理して、HPに。
「がんばってください」
という電話が入る。
「ばかたれ。そんなことで電話使うな」
と、怒鳴り返すこと数十回。

 警察からは、ものすごく大量のコピー用紙の注文が入っている。
「あるだけもってこい。いますぐ持って来い。とにかく全部持って来い」
赤塚氏は、ライトバン3台分もの紙を伊達警察まで往復で配達した。
 信用すべきは自分だけ。それと自分の信頼する、日ごろから付き合いのある人が業務関係で見聞きしたことだけ。

 噴火初期までは、伊達市議会議員滝谷昇氏からの情報が適切で最も早かった。記者会見の2時間前にその内容を知ることが出来るのはありがたい。
 実は、滝谷議員とは普段からのML仲間であった。同じ長和地区の住民でもある。余談になるが、伊達の議員さんでインターネットにつながってるのは2人。滝谷議員と国本議員。これ以外の議員センセはパソコンに触れない。

 触れないのならば勘弁してやるけれども、メールを駆使して、情報を広く市民に提供するとはけしからん、などとたわけたことを言う議員が趨勢を占める。いまどき、メールの読み書きもできなくて、HPも眺められないような「情報弱者」が議員に立候補すること自体が間違っている。こんな外道に投票することそのものが犯罪ですらある。
 インターネットができない人を、あらゆる議員にしてはいけない。情報収集はもちろん、情報を積極的に出すこともしないような人は、少なくとも議員や、重要なポストにつくべきではない。

 そんなわけで、デジカメで撮影されたさまざまな一連の写真も100枚以上ある。撮影者の数は冨田を含めて合計4人。これを処理してどんどんあげる。
 当然鮮明に見せる必要があるので、サムネイルとあわせると200枚になる。こいつを1時間ちょっとでこなした。やるときはやるのである。本業のドライフラワーHPで、苦労して覚えたフォトショップが、実に役に立った。

 伊達燃料の社長萩野さんが、道路から見た噴火の様子や渋滞の画像を持って飛びこんできた。萩野さんの写す写真は、何気ない普通の風景なんだけれども、大地に足が付いていて、見逃してはいけないところをきちんと押さえてあって、全部使える。
「冨田さん?今から壮瞥に行くけどいっしょに行くか」
あったりまえだ!!
 昭和新山直下の町営住宅のプロパンガスボンベの施設を点検に行くという。避難指示が出ているにもかかわらず、結構な数の住民がこのときには残っていた。
 画像処理を終えた、すべての作業が終わったのは、深夜2時を回っていた。知人宅に帰り、そのまま、布団もひかずに寝た。

 4月1日、早朝5時30分ごろ。

 今回最大(に、感じた)の突き上げるゆれで目を覚まして、そのまま事務所へ。2回目の噴火が起きたのはこの日である。

2000年5月8日

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tomitan1.jpg2000年3月31日、有珠山が噴火しました。有珠山噴火災害に関して、過去のどの災害とも大きく異なっている点がありました。それは、本格的な「インターネットによる全国的な情報ボランティアネットワーク」の誕生。「被災地からの、市民の、市民による、市民のための情報発信」というこれまでに無かった活動を、インターネットを通じて日本全国から集まった有志達が、陰ながら支えるという重要な役割を果たしています。そのため、今後の災害時の市民情報発信の在り方を考える上でも非常に重みのある活動となっているのです。これは、この「有珠山ネット

」の立ち上げに深く関わり、自ら「隊長」として代表を務める冨田きよむ氏によるコラムです。

※この記事は、2000~2004年頃の「rescuenow.net」に掲載されたものを再掲載したものであり、筆者の所属や登場する団体名等は、このコラムの執筆当時のものです。

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